記録誌

日々の記録。

Unity

パソコンの大変詳しい。というか専門家であらせられる友人に相談した。

自分がやるといいのはUnityだそうだ。それからC#

 

とりあえず使いこなせていないLinuxmintの基本みたいなところを

調べたり、ユーザーガイドを読んだりし、

Unityのユーザー登録とインストールまでは行えた。

 

実家に挫折したC#があるはずだ。

最後に使った記憶は腕立ての補助か、スピーカーの吸音材か。

 

少しずつだががんばろう。

初歩の初歩

思い立って、プログラミングをまた始めたいと思った。

今までに3度ほど挫折している。というか例の三日坊主ですぐに飽きてしまっている。

 

そのせいで、パソコンは開発なんてしないのにLinuxmintだし、

いっちょまえにVimも入っている。

もはや使い方も忘れて、どうやって動かすのかも何に使っていたのかもわからない。

 

さて、今回始めるのはpython

過去に挫折したのはHTML、C#、などだ。

それもそのはずで、HTMLは別にプロゲートの一番上にあるからやっただけで、

C#は中学生の時に憧れだけで買った本がたまたまC#
だったから始めただけなのだ。

当時の教師は僕にC言語を勧めてくれたが、ちょうどその本が本屋においてなかった。

 

とりあえず目標は、クイズゲームをなんらかの形で作る。

クオリティは考えずに、作ることだけを目標にする。

三日坊主。

習慣化しようと思ったことを、すぐに忘れる、サボる。

 

最初は、明日でいいか、からはじまる。

次第にそもそも忘れ、結局やらなくなる。

三日坊主とはよくいったものよ。

 

何でもいいから毎日でも書いていこう。

 

これは文章を書く練習。

文章を書く練習。

浪費

世の中の頭のいい大人たちが頑張ってくれたおかげで、毎日2時間ちょっとの時間を無駄にしていることがわかった。

 

Twitter

 

僕の持つiPhoneが週末に提示してくれる情報によると、

僕は一日2時間以上携帯を見ているそうだ。

これでも、先月なんかは3時間とか使っていた。

 

ほとんどがツイッターで、今でも2時間程度使っているらしい。

本当にあほらしい。

 

確かに、ちらっと見るつもりが気がつけば5分、15分と経ってしまっている。

大事な休憩時間も、これに奪われてしまうこともあったりする。

 

今日で1時40分、

休みの日になると3時間以上はゆうに超える。

ひどい日は、それだけで7時間を潰してしまっている。

 

情報のシャワーを浴びるのは、とても気持ちがいい。

人のつぶやきなんて、大した情報ではないのに、それがまるで小学校の時のTV番組のように、

常に見ていないと安心していない自分がどこかにいるのだろう。

 

用もないのに、携帯をいじるクセをやめてみよう。

時間

好奇心は強い方であると思う。何かにのめり込むとそれなりに集中力もある。

 

それでも、幼い頃のような、気がついたら夜になっていた、ということはなくなってしまった。(休日にうたた寝していたら夜、は何度もある)

いつからか、集中は途切れるようになり、雑念に惑わされるようになってしまっている。

 

思い起こせば、ものが増え、いくつかの行動を同時進行して行うようになったのが原因かもしれない。

 

たとえば音楽を聞きながら(聞き流しながら)本を読むとか、

テレビを見ながら食事をするだとか、

携帯をちょこちょこいじりながら、何かの作業をするだとか。

 

時間の節約という言い訳。

しかしその実、集中できない自分をごまかしているだけにすぎない。

 

鶏と卵。

 

自分の体に、いろいろな刺激、情報を同時に大量に受けることは、おそらく気持ちがいいことなんだろう。何かを知った気になれる。知識を得、万能であるかのような錯覚を示す。

それを続けていって、結局、今の自分のような注意散漫な人間になってしまったのだろう。

 

ところで、注意散漫といえば、小学校の通信簿には常に成績以外の欄にそのように評価されていた。もとから、中途半端な好奇心が故の、ただ吹く風になびいている葦なのかもしれない。

こうして書いている文章も散文的で、話題が右往左往している。

学び

かの災害とも言える流行病の影響で、仕事の時間で減っている。

それは単に収入の減少も意味するのだが、使える時間が増えるのはありがたい。

これを機に始めたことも多い。

 

さて、最近の学び。

 

僕はまず結論を話すように意識していた。が、どうもこれが伝わりづらい場合がある。

文章なんかの場合はこれが大いに役に立つし、これに慣れ親しんでいる自分はそう書かれた文章や、説明を受けると大変にわかりやすく感じる。

けれども、コミュニケーションとは、難しいものであった。

結論から始めるよりも、そうではないところから要素を拾い上げながら説明したほうが、わかりやすい場合があるとわかった。

なんとなく一般化してみる。

・相手がこれから話す内容に詳しくない場合、親しみのない場合

・相手が得意でない範囲の抽象的な会話

今回、この思いを感じた会話の相手はせっかちで、一言話すとわからない部分やこまかいディティールを機にする人であった。

先に結論から話すと、言葉の定義や示す範囲、前提条件を何度も話すはめになり、苦労した。

ある程度会話で道筋を作り、これから話そうとしている問題・提案が持つ特有の単語に

なれてもらい、これを利用して本編に導入すると、うまくいった。

 

だが、いかんせん時間がかかる。

仕事中の話で、作業がいろいろ溜まっていく中(就業時間はむしろ削られている)

頼むから伝わってくれと思いながら会話している。